あれ
輪郭によってゲシュタルト崩壊をしたあと、後景を見て認識を取り戻す。
取り戻された認識は、ゲシュタルト崩壊以前とはやや異なったものになっているだろう。輪郭による認知の再構築が行われている。
あれ
今日および1日の収穫として、これ以上はないと思う。
自分の限界が一つ押し広げられたと言って良い。デライトに対する理解の進展。文章を書く方法に対する理解の進展。
あれ
デライトなしに数万のメモを乱雑に書き出しつつ自由に探し出せるかと言うと、まあ無理だなとなるので、幾等かの知能増幅がされていることは間違い無いのだけど、いかんせん自然すぎて知能増幅されている自覚がない。
「どれだけ練習しても、走るのは楽にならない。ただ、速くなるだけだ。」と同じかもしれない。
デライトは、知識の描き出しも、取り出すのも、超高速でできる
デライトに順応すると、「散歩中に思いついたあれ」や「あれを考えるために調べたあれ」など、描き出した何もかもが超高速で取り出すことができる。
知識を保存するのも超高速だ。保存すべき場所を探し回る必要はなく、既存の書き出した知識に適当に引き入れておけば良い。目についた単語の輪郭に引入れておけば良い。取り出すのは適当にたどっていれば見つかる。なぜか見つかる。
直観で、「なんとなく」で引き入れるのが大事だ。探すときも直観と「なんとなく」で探すのだから、保存と探索は同じ道を辿る。
知識の保存と取り出しの超高速性は、あたかも脳の記憶が拡大したかのように感じられる。記憶の拡大は、思考の高速化をもたらす。日本の学校を出たならば、九九表を覚えさせられたかと思う。九九表を覚えれば、掛け算は10倍は早くなる。もし2桁の掛け算を全て暗記すれば、複雑な掛け算の速度は100倍かそれ以上になるだろう。
算数に限らず、限りなく多くの人間の知的作用が記憶できたならば、どれほど思考は早くなるだろうか。