t_wの輪郭

書き起こし

目次

第一部

ツァラトゥストラーの前説法

超人と下品下生

ツァラトゥストラーの前説法

三廻心
道徳の講座
後世界信者
悔身もの
樂と苦
蒼白い犯人
読み書き
山の樹
死の説法者
戦争と戦士
新偶像
市場の蠅
童貞
友人
千一の目的
近人愛
創造者の道
老若の婦人
蛇腹の咬傷
子供と結婚
自由死

第二部

鏡持ちの子供
極楽島
同情者
僧侶
有道の人
下民
タランテル
名高い賢人
夜の歌
踊の歌
墓の歌
克己
崇高な人
教養の国
清浄悟
学者
詩人
大事件
預言者
解脱
至淑の時

第三部

さすらひの人
顔と謎
不本意の喚起
日の出前
小化道
橄欖山上
素通り
背信者
帰省
三悪道
重壓魔
舊の坂、新の坂
癒え行く人
大憧憬
第二の踊の歌
七つの印

第四部

蜜供養
苦鳴
王との対話
蛭
魔術師
退職
醜悪至極の人
求願飽食
影
正午
挨拶
晩餐
高人
憂鬱の歌
科学
砂漠の娘
組成
驢馬祭
酩酊歌
瑞兆
解題

如是説法ツァラトゥストラー 第一部

ツァラトゥストラーの前説法

 一

 ツァラトゥストラー、齢三十の時、その故郷を去り、故郷の湖邊を去って、遠く山に入った。山に住して禪定に入り、孤獨寂寞を楽しんで十年経った。その間曾(かつ)て倦(う)むことを知らなかった。が、十年の後、遂に一轉(いってん)して、其(それ)の朝、曙光を仰いで起ち、昇る日輪の前へ歩み寄って、日輪に向かって斯う言った、
 『お前、大いなる星よ。お前に照らされるものがなかったなら、お前の幸福というものは何であろうぞ!
 お前は十年の間、私の仙窟を照らしてくれた。私というものがなく。私の鷲と私の蛇とがなかったなら、お前はお前の光とお前の道とに飽いたであろう。
 が、私たちは朝ごとにお前を待った。お前の溢れるばかりの光明を享けた。そして、そのためにお前の幸せを祝した。
 見よ!あまりに多くの蜜を集めた八のように、私は私の智慧に飽いている。私は伸ばしてくる多くの手が要る。
 私は或は施し或は頒たう、人間の中の賢い者が再び一度その愚を喜び、貧しい者が再び一度その富を喜ぶようになるまで。
 そのために私は谷へ降り行かねばならない。お前が海の背後へ行ってさらに下界へ光を齎(もたら)すとき、お前が毎夕爲(な)すように。お前、有り余るほど富んでいる星よ!
 私は前と同じように沈む行かねければならない。沈み行くとは人間の言葉だ。私はその人間の所へ下り行こう。
 お前安らかな眼(まなこ)よ、では、私を祝してくれ、あまりに、大きい幸をも嫉妬(ねたみ)なく見ることのできる眼よ!
 この盃を祝してくれ、盃は溢れそうになっている、水は金色の波を湛えて盃の外へ流れ出で、八面玲瓏(はちめんれいろう)としてお前の快楽を映している。
 見よ!盃の水はまたも空虚(から)になろうとしている。そうしてツァラトゥストラーは再び人間になろうとしている。』
———かくの如くして、ツァラトゥストラの下化(げけ)は始まった。

 二

 ツァラトゥストラーは単身(ひとり)で山を下った。途中彼に会うたものは無かった。しかし、深山(みやま)を出て森林(はやし)に来た時、童顔鶴髪(どうがんかくはつ)の翁が不意にその面前に立った。夙(つと)にその申請は精舎(しょうじゃ)を去って林間に草根を捜している翁であった。翁はトァラトゥストラーに斯(こ)ういった。
 『この旅人は未見の人ではない、幾年の昔であったか、この道を通ったのはこの人であった。彼はツァラトゥストラーという名であった。が、彼は別人となっている。その時君は、君の灰を山へ運んだ。今日(けふ)君は、君の火を谷々へ持ち徍かうとするのか。君は放火者の罰を恐れないのか。
 然うだ、私(わし)はツァラトゥストラーの人となりを知っている。彼の眼は澄んでいる。彼の口には厭らしいところがない。彼は踊る人のように歩き行くではないか。
 ツァラトゥストラーは別人となっている、ツァラトゥストラーは童子(どうじ)となった、トァラトゥストラーは覺者ぢゃ。君は眠っている者共のところで何(ど)うしようというのぢゃ。
 海の中に於(お)けるように、孤独の中で君は生活した、そしてその海は君を載せていた。君は陸に上がろうとするのか、痛ましいことぢゃ。君は再び君自身君の身体(からだ)を引き摺ろうとするのか、痛ましいことぢゃ。』
 ツァラトゥストラーは答えた、『私は人間を愛します。』
 『何故』と、聖者は言った、『私(わし)は一体、山や無人の里に住ったのか、それは、それ、私(わし)があまりに人間を愛した故ではなかったか。
今私(わし)は神を愛している。人間どもは私(わし)を愛していないのぢゃ。人間というものは、私(わし)には、あまりに不完全な代物だわい、人間愛は私(わし)の生命(いのち)取りぢゃ。』
 ツァラトゥストラーは答えた、「愛については私は何を申し上げましたかしら! 私は人間に布施します。』
 『彼らには何物をも與(あた)へぬが可(よ)い』と聖者は言った。、『それより寧ろ彼等から何物かを受けて彼等と一緒にそれを有(も)っっているに限るぢゃ、———それで君が楽しければ彼らもまたそれを無上の楽しみとするであろうぞ!
 そして君が彼らに與(あた)へるのなら、施物以上のものを與(あた)へぬことぢゃ、それも先方から乞い求めてからのことぢゃ。』
 『いえ、いえ』と、ツァラトゥストラーは答えた、『私は施物を與(あた)えません、私は施物を與(あた)えるほど貧しくありませんから。』
 聖者はツァラトゥストラーを笑って、そして言った、『では、よくよく注意をして、彼らに君の法寶を受けさせることぢゃ! 彼等は隠者達に対して疑深いものぢゃ、そして俺達が施與するために参るとは信じないからな。
 俺達の足音は街上を通じてあまりにも寂しく彼らに響くのぢゃ。そして彼等が夜な夜な床の上で、日の出に先立って長い間、一人の男が歩くのを聞くと、彼等は屹度(きっと)互に問い合って言うことぢゃ、盗人は何処へいくのか、とな。
 人間の所へ行かつしやるな、山にいなさい、いや、いっそのこと禽獣(きんじゅう)のところへ行かつしやれ! 何故君は私(わし)のように熊の中の熊であり、鳥の中の鳥でありたくないのか。』
 『そして聖者は山の中で何をなさいます』と、ツァラトゥストラーは訊いた。
 聖者は答えた、『私(わし)は歌を作り、歌を歌う。歌を作って、笑ったり泣いたり咆えたり、そのようにして私(わし)は神を褒め讃えるのぢゃ。
 歌ったり、笑ったり、咆えたりして、私(わし)は私(わし)の神であらせられる神を賛嘆するのぢゃ。ところで、君は何を私(わし)に與(く)れるのか。』
 ツァラトゥストラーがこの言葉を聞いた時、彼は聖者に一瞥していった。

2022年10月31日日記『如是説法 : ツァラトゥストラー』第一部『如是説法 : ツァラトゥストラー』目次