あれ
なぜデライターが増えないのかは依然として謎である。
第一次デライト応援広告によってデライターが増加しなかったのを見るに、単純に露出が足りないという問題でないことは分かった。
時代や人々にとってデライトが早すぎるという問題もあるだろう。ソフトウェアの利用に長けているであろうソフトウェア開発者にとってさせ、デライトはわかりにくい。ただそうした言い訳をしていては10年20年待つことになってしまう。朝が来ないなら朝を迎えに行きたい。
「デライトはわかりにくい」という問題が、AIの発展によって解消されるかもしれない
デライトを解説する文章が簡単に生成できる。
文章の品質に関しては、「編集者としての私」がどれだけ強い信念をもって牽引できるかにかかっている。
デライトを良く分からないまま使ってもらえばいい
あれ
ソフトウェア開発している人でもまだデライトはわかりにくいらしい。こんなにシンプルなのに。
デライト最初期にあった前後景継承は理解が難しい機能だったが、今ではそれもなくなったので、わかりにくいところはもうないと思うのだがどうやらそうではないらしい。
「待欄に前景用の輪郭が並ぶ」のが初めて見る人を驚かせてしまうのかもしれない。
「具体的に何に使えばいいか分かりづらい」というのもありそうだ。汎用的すぎる。具体的な使い道に踏み込めば、専用のアプリケーションのほうが使い勝手は間違いなく良い。タスクを管理したいならタスク管理アプリ、食事を管理したいなら食事管理アプリのほうが便利だ。デライトではそれらを統合できるところがうまあじで、それはどうしても伝わりづらい。