あれ
5人の法則を本でハックするの、天才すぎる
昼ごはんがてら免許の住所変更に行ったら15時からの受付で、しょぼくれた日曜日の始まり。
改めて運転免許証の住所変えにきたぞ。
また行くのがめんどくさいという気持ちになったのをねじ伏せた。
おもきさんが描き出していた「文章が上手な人と下手な人の違い」を読むには、文章が書ける人は頭の中だけで筋道を組んでいるらしい。
反射的には「そんなことはとてもできない」と思うのだが、否定するには、文章の中で説明されている「文章の下手な人のやり方」というのが、あまりにも私のやり方を言い表している。
相変わらず文章がうまく書けない問題に取り組んでいる。
私は何もないところから文章を書こうとしても書けない。その対策として話の筋やロジックをネットワーク状の図解を作成し、その図解を文章化する、という方法でなんとか書こうとしている。しかし、今までこのやり方で順調にいったことがなく、やり方を改善する必要性がある。あるいはまったく違うやり方に移行するか。
そこで、図解から文章化のやり方を改善するために、他の人が書いたすでに完成している文章を図解化し、図解から文章を再構築するということをやってみていた。
図解からの文章の再構築にやはり困難があり、今使っている図解の形態から文章が作り出せるような感じがしない。
図解からの文章化にあたって何が困るかというと、ネットワーク上の図解のどの点を始点として、文章を始めればいいのかわからないのだ。
一旦この問題を無視して、元となる文章の始点から始めてみても、どのような道筋で進めればいいのかわからない。一筆書きのパズルのような難しさがある。
元となる文章を変えながら、何度かこの作業を繰り返しながら模索すれば、なにか解決策が見つかるだろうか。
というか、論理のグラフを作ったとて、文章化するにあたってどこから手をつけたらいいかわからなくなる。
「結論から書く」という方策を取るにしても、結論を見ると満足してしまって手が動かなくなる。満足しているというよりも怠惰をしている可能性もある。
始点を置くとするならば読者の視点だろう。そこから結論までの道筋を文章にできればよい。のかもしれない。
『大学とは何か』を読んでいて思うに、大学は、功利主義の枠組みの中で評価されて活動するのではなく、その枠組み自体について研究する、たとえば功利主義に変わる何かを探し出すことこそが目的かもしれない。
まさに「枠組みを壊せることがエリートの本質」というわけだ。
しかし、ここ最近の日本では、大学が功利主義の枠組みで評価されるようになっていっており、枠組みを壊すような取り組みはうまくいっていないのかもしれない。
メ _|\ _ ヾ、 メ / u 。 `ー、___ ヽ / // ゚ 。 ⌒ 。 ゚ u / つ / //u ゚ (●) u ゚`ヽ。i l わ l | | 。 ゚,r -(、_, )(●) / ! ぁぁ ヾ ! //「エェェ、 ) ゚ u/ ノ あぁ // rヽ ir- r 、//。゚/ く ああ ノ メ/ ヽ`ニ' ィ―' ヽヽヾ ぁあ _/((┃))_____i |_ ガリガリガリガリッ / /ヽ,,⌒) ̄ ̄ ̄ ̄ (,,ノ \ / /_________ヽ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
輪郭の前景と後景を作ることで、抽象度のレベルが調整されていく。
<デライトで長文を書く> よりも <デライトで文章を書く> の方が、書こうとしている文章にとって適切であることが発見されたりする。
昼ごはんがてら免許の住所変更に行ったら15時からの受付で、しょぼくれた日曜日の始まり。
改めて運転免許証の住所変えにきたぞ。
また行くのがめんどくさいという気持ちになったのをねじ伏せた。
おもきさんが描き出していた「文章が上手な人と下手な人の違い」を読むには、文章が書ける人は頭の中だけで筋道を組んでいるらしい。
反射的には「そんなことはとてもできない」と思うのだが、否定するには、文章の中で説明されている「文章の下手な人のやり方」というのが、あまりにも私のやり方を言い表している。
相変わらず文章がうまく書けない問題に取り組んでいる。
私は何もないところから文章を書こうとしても書けない。その対策として話の筋やロジックをネットワーク状の図解を作成し、その図解を文章化する、という方法でなんとか書こうとしている。しかし、今までこのやり方で順調にいったことがなく、やり方を改善する必要性がある。あるいはまったく違うやり方に移行するか。
そこで、図解から文章化のやり方を改善するために、他の人が書いたすでに完成している文章を図解化し、図解から文章を再構築するということをやってみていた。
図解からの文章の再構築にやはり困難があり、今使っている図解の形態から文章が作り出せるような感じがしない。
図解からの文章化にあたって何が困るかというと、ネットワーク上の図解のどの点を始点として、文章を始めればいいのかわからないのだ。
一旦この問題を無視して、元となる文章の始点から始めてみても、どのような道筋で進めればいいのかわからない。一筆書きのパズルのような難しさがある。
元となる文章を変えながら、何度かこの作業を繰り返しながら模索すれば、なにか解決策が見つかるだろうか。
というか、論理のグラフを作ったとて、文章化するにあたってどこから手をつけたらいいかわからなくなる。
「結論から書く」という方策を取るにしても、結論を見ると満足してしまって手が動かなくなる。満足しているというよりも怠惰をしている可能性もある。
始点を置くとするならば読者の視点だろう。そこから結論までの道筋を文章にできればよい。のかもしれない。
『大学とは何か』を読んでいて思うに、大学は、功利主義の枠組みの中で評価されて活動するのではなく、その枠組み自体について研究する、たとえば功利主義に変わる何かを探し出すことこそが目的かもしれない。
まさに「枠組みを壊せることがエリートの本質」というわけだ。
しかし、ここ最近の日本では、大学が功利主義の枠組みで評価されるようになっていっており、枠組みを壊すような取り組みはうまくいっていないのかもしれない。
メ _|\ _ ヾ、 メ / u 。 `ー、___ ヽ / // ゚ 。 ⌒ 。 ゚ u / つ / //u ゚ (●) u ゚`ヽ。i l わ l | | 。 ゚,r -(、_, )(●) / ! ぁぁ ヾ ! //「エェェ、 ) ゚ u/ ノ あぁ // rヽ ir- r 、//。゚/ く ああ ノ メ/ ヽ`ニ' ィ―' ヽヽヾ ぁあ _/((┃))_____i |_ ガリガリガリガリッ / /ヽ,,⌒) ̄ ̄ ̄ ̄ (,,ノ \ / /_________ヽ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
輪郭の前景と後景を作ることで、抽象度のレベルが調整されていく。
<デライトで長文を書く> よりも <デライトで文章を書く> の方が、書こうとしている文章にとって適切であることが発見されたりする。