カフェで読書 2022
カフェで読書するのが最近の楽しみだ。これについて語ってみたい。
カフェに行くということは、その時間にお金を使っている。自分を大切にできているような気がして気分が良くなる。
カフェで読書をすれば、落ち着いた環境で本を読むことができる。これは自室の机が散らかるほど際立つ。自室の机に散乱するDr.Pepperやコーヒーの抜け殻。ガジェット類。雑に積まれた本。ポイントカード。ガムの包み紙。これらは有機的なある種の秩序をもって私を構成しているが、集中を乱す元でもある。
コーヒー。そのカフェイン。最初は微睡んでいた脳が徐々に目覚めてくる。読書に向いた状態へと整っていく。コーヒーの残量はカフェにいられる時限としても機能する。少しでも長くいるためにチビチビと飲む。ホットコーヒーが冷め、アイスコーヒーの氷が解け切ったころに読書の集中力が切れる。惜しむことなくコーヒーを飲み干して退散する。
カフェから出て帰路に就く。まだ1日が始まったばかりなのに、もうその日に満足している。朝起きてカフェで読書をすれば、1日が充実したものだったと確信を持つことができる。
2022年11月20日日記
午後から雨の予報だったので、午前から活動した。カフェでコーヒーを飲みながら読書をした。あとクロックムッシュを食べた。
1時間ほどでカフェからは退店した。少し疲れてきていた。2時間ぐらいは居てもよかったが、自分の欲求に従い、「もったいない」という心を封じて行動したので、非常に贅沢な時間の使い方をしたように思う。
カフェから退店した後、図書館に行って借りた本のうちの三冊を返却した。こまめに返却しないと、持っていくのが大変になる。図書館で何か借りたい本がないか探したが、特に借りたい本はなかった。そのまま図書館から帰宅した。
午後もだらだらと読書をしていた。図書館で「自己組織化」で検索して借りてきた本が山ほどある。
ここのところ読書しかしていない。コロナ禍で現実の人との関わりが無くなってしまった。というよりもコロナを言い訳にして、人との関わりを断ってしまった。いろいろと面倒になった。特にFacebookでお客様とのつながりができてしまって、何もできなくなってしまった。現状、現実の私は、まるで何もしていない人間になっている。