おっ
ストレッチで腰が楽に
腰のストレッチ、今までやってたのは伸ばすべき方と逆だったんだわ
座ってる時に縮んでる筋肉を伸ばさなあかんかったんだわ
つまるところ股関節とか腹筋の下部とかを伸ばしたら良くなった気がする
いまのところは
描出した日付で輪郭をまとめたり、花火日報を書くと、妙に面白い輪郭が発見されるのも、時間的局所性によって同一の枠組み/包括/抽象の中での描出となる可能性が高いからだろう。それらの輪郭は意味的なまとまりを持ち、そこから意味のある枠組み/包括/抽象を見つけ出すことができる(ことが多い)。
(あれ・あれ)→共通点でつなげ、包括でまとめる→つなげながらまとめる(つなげながらまとめる)
ついに来たな!!
「つなげる」は「本文内のリンク」と「共通点で引き入れる」、「まとめる」は「包括で引き入れる」と捉えるとすっきりする。
いままでは「つなげる」を「本文内のリンク」、「まとめる」を「引き入れ」と捉えていたが、それよりもずっとしっくりくる。
もっと別の捉え方もあるかもしれないが、それでも今時点ではかなり理解が前進した。
これまでデライトの中で長文を書くに至らなかったのは、前景として輪郭を作る際に、長文を書くに資する抽象/範疇を作り出してこなかったためのように思う。
前景として作る輪郭の多くは「飲食店」のような単一のキーワードを知名にしていた。そうした輪郭の後景に輪郭がたまってきても、それらは共通点を持つだけで関係は弱く、文章としてなかなかまとまってはくれない。
KJ法で言うならば、文章としてまとまるには、「土の香り」がする抽象/範疇を作る必要がある。
Wikiのようなキーワードリンクでは、「キーワード」によるリンクのため、共通部分による紐づけはできるが、包括を表すことは難しいように思われる。
例えば、「コンビニ」のページについて考えると、その説明の中で「小売店」をキーワードリンクに設定することはできるが、その関係性はあくまで文中の説明によって示される。
資料作成からは完全に脱線し、抽象と具体の立体感の獲得についてまとめるのに熱中していた。しかし得られたものが資料作成に役立つことは間違いないし、資料作成よりも重要だったと思う。また、資料作成にはまだ時間がある。
私と似たような特性を持つ人が抽象と具体の立体感を獲得するのに役立つような何かを作っておく
抽象と具体の感覚、特に抽象から具体を見るイメージを得るのにデライトを使い始めてから5年もかかった。デライトが無ければ一生つかめなかったかもしれない。
これまで具体を見る、あるいは具体から抽象を見るしかできなかったが、後景として描出した具体から、前景として描出した抽象を積み上げてきた結果、抽象から具体を見るイメージができるようになった(気がする)。
デライトだけではなく、KJ法やソフトウェア設計などをやっていたことも効いたように思う。
また、『過程と実在』にて解説されていた哲学の方法である「真の発見の方法は、観察の大地から普遍化の大気圏へと出発し、再び元の大地に着地する」は、まさに具体から抽象を見ることと抽象から具体を見ることについて説明されていた。
「コンビニからローソンを見る」は抽象から具体を見るの一例(具体)だし、「抽象から具体を見る」から「コンビニからローソンを見る」を見ると、これもまた抽象から具体を見るになる
おっ
ストレッチで腰が楽に
腰のストレッチ、今までやってたのは伸ばすべき方と逆だったんだわ
座ってる時に縮んでる筋肉を伸ばさなあかんかったんだわ
つまるところ股関節とか腹筋の下部とかを伸ばしたら良くなった気がする
いまのところは
描出した日付で輪郭をまとめたり、花火日報を書くと、妙に面白い輪郭が発見されるのも、時間的局所性によって同一の枠組み/包括/抽象の中での描出となる可能性が高いからだろう。それらの輪郭は意味的なまとまりを持ち、そこから意味のある枠組み/包括/抽象を見つけ出すことができる(ことが多い)。
(あれ・あれ)→共通点でつなげ、包括でまとめる→つなげながらまとめる(つなげながらまとめる)
ついに来たな!!
「つなげる」は「本文内のリンク」と「共通点で引き入れる」、「まとめる」は「包括で引き入れる」と捉えるとすっきりする。
いままでは「つなげる」を「本文内のリンク」、「まとめる」を「引き入れ」と捉えていたが、それよりもずっとしっくりくる。
もっと別の捉え方もあるかもしれないが、それでも今時点ではかなり理解が前進した。
これまでデライトの中で長文を書くに至らなかったのは、前景として輪郭を作る際に、長文を書くに資する抽象/範疇を作り出してこなかったためのように思う。
前景として作る輪郭の多くは「飲食店」のような単一のキーワードを知名にしていた。そうした輪郭の後景に輪郭がたまってきても、それらは共通点を持つだけで関係は弱く、文章としてなかなかまとまってはくれない。
KJ法で言うならば、文章としてまとまるには、「土の香り」がする抽象/範疇を作る必要がある。
資料作成からは完全に脱線し、抽象と具体の立体感の獲得についてまとめるのに熱中していた。しかし得られたものが資料作成に役立つことは間違いないし、資料作成よりも重要だったと思う。また、資料作成にはまだ時間がある。
私と似たような特性を持つ人が抽象と具体の立体感を獲得するのに役立つような何かを作っておく
抽象と具体の感覚、特に抽象から具体を見るイメージを得るのにデライトを使い始めてから5年もかかった。デライトが無ければ一生つかめなかったかもしれない。
これまで具体を見る、あるいは具体から抽象を見るしかできなかったが、後景として描出した具体から、前景として描出した抽象を積み上げてきた結果、抽象から具体を見るイメージができるようになった(気がする)。
デライトだけではなく、KJ法やソフトウェア設計などをやっていたことも効いたように思う。
また、『過程と実在』にて解説されていた哲学の方法である「真の発見の方法は、観察の大地から普遍化の大気圏へと出発し、再び元の大地に着地する」は、まさに具体から抽象を見ることと抽象から具体を見ることについて説明されていた。
「コンビニからローソンを見る」は抽象から具体を見るの一例(具体)だし、「抽象から具体を見る」から「コンビニからローソンを見る」を見ると、これもまた抽象から具体を見るになる