GOLDEN
Building the world’s knowledge engine
Our vision is to equip the world with deep and easily discoverable knowledge on over 10 billion topics to create leaps in advancement, innovation, and thinking.
Wikipediaっぽい、公共知を集約する系のサービス(っぽい)
Golden is building a permissionless, decentralized, open-source protocol that incentivizes the collection and verification of canonical knowledge. Protocol data will be offered to the public for free with commercial usage requiring payment.
Web3的なことをやってるらしい。出たわね。dAppsと呼んで良いのだろうか。
文章を遺すdAppsに成りうる?公共知だから微妙か。
あれ
Tak.「ノートツールなんてそれこそ使い込まないと、ある程度の期間使わないと分からない」
…………
Tak.「Logseqって言ってる人、多分多くは去年はObsidianってきっと言ってたよな。そのうちの何割はその前の年はRoam Researchって言ってたよな。でもいいんですけど、ただやっぱり3年4年使わないと分からないことがある。」
倉下 忠憲「でもそれってある種の賭けじゃないですか。このツールで行く。それ以外は使わへん。みたいな。」
次々に新しいメモアプリ(個人知識管理サービス)が生まれてきている。それらが出る度にどんどんに乗り換えていく、といった状況を見ていると、個人知識管理サービスの相互運用性が問題になるんじゃないかと思う。
流行りのメタバースではメタバースの相互運用性が議論に上がるが、個人知識管理サービスの方がよほど影響が大きい。メタバースはあくまでエンターテイメントで、そこでできた友達は可搬(ほんまか?)だが、膨大な記述を伴う知識を別サービスに人力で書き写すのは並大抵の労力ではない。
もし記述した知識を個人知識管理サービス間で相互に取り込みができないならば、知識が人質になる。サービスの過剰な値上げに対して対抗できないし、サービス終了に対しても脆弱だ。アカウント凍結に対しても不安がある。
前例を上げれば、Twitterアカウント凍結解除のために弁護士費用121,000円をかけた事例すらある。それだけ、長期間にわたって書いてきた文章は、書いた本人にとって価値を持つと言えるし、人質としての適性が高いともいえる。
また、記述した知識を個人知識管理サービス間で取り込むことができれば、「個人知識管理サービスは長時間使わないと真価が分からない」という問題も解決できるかもしれない。他の個人知識管理サービスを使い込んだ後に、新しい個人知識管理サービスに知識を取り込めば、あたかも使い込んだかのような環境が構築される。
しかし、上で上げた話は自分の肩の上に立つようなものだ。
ある個人知識管理サービスで記述した知識を、ほかの個人知識管理サービスに取り込んだ場合に、それが適合することは少ないと感じる。
例えば、Workflowyで書いた文章をScrapboxに一切の加工なしに取り込んだとしても、何ら機能するものではない。お互いの良さをつぶし合うだけの結果になる。Workflowyで書いた文章の量にもよるだろうが、なじませるには書き換えが必要になり、相応の労力を要するだろう。
これについてもうちあわせCastにて議論されている。アウトライナーを使って書かれたと思われるTak.氏のブログをScrapboxに取り込んだ結果、何か違和感のあるものになったという話がされていた。